『デジタルは人間を奪うのか』(著:小川和也)より

『デジタルは人間を奪うのか』(著:小川和也)の第4章 仮想と現実の境界線の「オープンガバメント」と個人が面白かったので、書き留める。

この本全体は、 インターネットやPCが身体に接続されたり、自動制御があらゆる操作物に対して なされるようになった現代社会、デジタル社会で、 「デジタル」は人間から思考や記憶の貧困をもたらす脅威なのか、 それとも、人間の能力をさらに成長させる"立派なツール"なのかをテーマにした、 小川和也氏の著作。

そのなかで、「オープンガバメント」について触れた内容が、 (私の思う)オープンガバメントの特徴をシンプルに取り上げていたので、内容の要約を ここで書き留めておきたい。

本書いわく、 オープンガバメントとは、政府がインターネットを活用し、政府を国民に開かれたものにしていく取り組みと紹介されている。 小川氏は、2009年1月に、オバマ氏がアメリカ大統領に就任した直後に「透明性とオープンガバメント」と題する覚書を各省庁の長に対して出したことを紹介している。 オバマ氏は、このときに「透明性」「国民参加」「協業」の3原則とした、開かされた政府を築くことを表明し、「Data.gov」という政府機関が保有する様々な統計データを提供するサイトを開設した。つまり、オープンデータ政策を行ったわけだ。 この目的は、政府のデータを開放し、国民からのイノベーションを期待し、ひいては国民へのサービスの質を向上させることである。

政府が持つデータを公開することで、国民はそれを自由に閲覧、利用できる。 「知っている情報」の点で、 国民と官僚が平等に近い点に立つことができれば、国民のなかでも意志や能力をもつ人々が政府の政策批判や政策提案を、より活動的に行うことができる。 国民の発案を、政府が取り入れるということがオープンデータの目指す理想である。 そのためには、データ公開のプラットフォーム、 国民の発案を受け入れる土壌としての制度設計と活動的な提案を行える人材の育成が必要になる。

この小川氏の紹介は、 「オープンガバメント」、「オープンデータ」、「情報公開」という頭のなかで混乱しがちな言葉を 整理するのに、とても役立つ。

① まず、はじめに分別すべきは、「オープンデータ」と「情報公開」の違いである。 一般に、オープンデータというときは、公開されるデータが自由に使われ、自由に編集可能で、自由に共有できる形で公開することを指す。 Open Definitionには、“Open data and content can be freely used, modified, and shared by anyone for any purpose”と記されている。 単に情報公開というときは、Open Definitionに関係なくWeb上にドキュメント等をアップすることを指す。

② その上で、オープンデータとオープンガバメントはどう違い、どう関係するのか。 極端にいえば、オープンガバメントは目的であり、オープンデータはその手段である。

オープンガバメントは、政府と国民の協業を目指す政策であり、 オープンデータは、そのためにデータを公開(Open)することである。

日本では、情報技術とオープンな価値観ががまだ世の中に浸透していないがために、 オープンデータが徹底されていない。 他にも、制度や人材の問題もあるため、 オープンガバメントにはまだまだ、程遠い国になっている。

しかし、新しい公共に対応するためには、 オープンガバメントはなくてはならない不可欠要素である。

その到来は、まだまだ遠い。